周瑜の天下二分の計考察スレ
- 1 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/13(日) 22:11:20
- ただいま曹操は敗戦の憂き目を見たばかりで、
自分の身辺から変事が起こるのではないかと心配いたしており、
とても孫権さまと兵を動員して戦いを挑み合うといった余裕はございません。
どうか孫瑜さまとともに軍を進めて蜀を奪取することをお認めくださいますように。
蜀を手中にしましたあと、張魯を併呑し、そのうえで孫瑜さまにその地に留まって守りを固めていただけば、馬超との同盟関係もうまく結べます。
私は、蜀よりもどり、孫権さまとともに穰陽を根拠地として曹操を追いつめてゆけば、北方制覇も夢ではないのでございます。
周瑜が生きていたとして、この戦略について考察するスレです
- 667 :無名武将@お腹せっぷく:2011/03/18(金) 12:45:01.72
- 魯粛は大豪族兼名士とかないわ〜
- 668 :無名武将@お腹せっぷく:2011/03/18(金) 17:41:07.20
- 地元に財産持ってるって意味では豪族だし、名望があって交友範囲広いって意味では名士でもある。
多分名声を得たのは魯粛の代からで、代々官僚を輩出するような名門じゃなかったのは確かなので、
大豪族というよりは新興豪族だろうね。名士としてはそれなり。
- 669 :無名武将@お腹せっぷく:2011/03/18(金) 20:49:27.85
- 郷紳みたいなもんか。
- 670 :無名武将@お腹せっぷく:2011/03/19(土) 21:49:55.96
- 魯粛の子供は父親の顔を見ずに育った
- 671 :無名武将@お腹せっぷく:2011/03/20(日) 19:56:59.67
- >>669
そうだね。
後漢の豪族、つまり豪強とか大姓という階層は、県や郡に定期的に官吏を送り出した。
中央朝廷の高官を輩出したわけではないが
郡の政治を牛耳った大豪族というのは地方にいくらでもいて、その多くは史書には名前は残らない。
残るとしたら伝の残る太守のような高官との関わりにおいて。
(だから彼らの動向は出土資料の方向から研究が進められている)
魯家がその「大姓」に該当するという直接の記述はないが、
若い頃の事跡や周瑜の挨拶から判断すれば、その可能性は高いと言えるだろう。
- 672 :無名武将@お腹せっぷく:2011/03/20(日) 23:46:19.34
- >>671
魯粛本人が呉の重鎮としてまさに「伝に残るような高官」になっているので、
もし一族に郡の政治を牛耳るような高官でもうれば、呉書はその旨を記すだろうし、
漏れても注釈で拾われそうな気もするが。
趙咨曰く「魯粛は凡品」とのことだから、やはり家格は高くはないんだろう。
若い頃の事跡も、商人の魯粛がやってるから親戚に「頭がおかしい」みたいな言われ方をしちゃう。
元から士大夫層なら騎射や兵書に親しんだり、私兵を組織してもそれ程奇異な行動には映らなかったと思う。
- 673 :無名武将@お腹せっぷく:2011/03/21(月) 01:35:43.18
- >>672
代々郡吏程度では、政治史中心の列伝にはほとんど記録に残らない。
劉備とか孫堅の家くらい。
しかし、この代々郡吏の座を専有した豪族階級が
郡功曹や督郵になって太守と地方政治に強い影響を及ぼしていたことが
史書や出土資料から分かっている。
以上、豪族問題
魯粛は、そういう可能性の高い富裕な豪族の子弟でありながら、田畑を売り払ったり奇抜な行動をしていた。
教養レベルで武芸に通じるならまだしも、戦乱に追われたわけでもないのに
自分で私党を編成するというのは奇矯の類。
「名士」と呼ばれて人物評価の対象となる人物にもさまざまな評価基準があった。
深沈大度の学者肌として評価される者もあれば、財貨を傾けて貧民を救う侠や
世俗に阿らず受けた侮辱に必ず報いる烈士のような者もいた。
魯粛というのは、非の打ち所のない典型的な「高士」型の人物ではない、癖のある人物なので、
一時期の曹操や太史慈のように思想や派閥によって賛否両論が分かれたことだろう。
地元の郷論に認められたという話と、そうではないという話があり、
袁術、劉曄、周瑜には高く評価されたが、張昭には用いるべきではないと言われた。
いずれにしても、彼らと交際して相評価される「名士」層に属した人間であることに違いない。
以上が名士問題。
- 674 :無名武将@お腹せっぷく:2011/03/21(月) 11:24:31.01
- 魯粛が受けた中途半端な扱いを見ると、
名士の一角ではあるが一流どころでもないだろう
一族郎党を引き連れて周瑜を頼ったり鄭宝に頼ろうとしたりと非常に不安定だし
孫権に仕えてからも初期はもてなされてはいても発言力があるかどうか怪しい
「大姓」に該当する可能性が高い、まで言うと言いすぎというか、
魯粛の立場とつり合わないと思う
- 675 :無名武将@お腹せっぷく:2011/03/21(月) 11:33:53.21
- 豪族、大姓というのは、家が持つ財産(銭・土地)の大小とそれによる郡県への影響力の問題
名士というのは、個人が持つ郷論や他の名士からの評価の問題。
一緒くたに語っては駄目。
- 676 :無名武将@お腹せっぷく:2011/03/21(月) 19:31:50.13
- >>673
ざらっと呉書を斜め読みしたところ、
太守以下で紹介されてるのは賀斉の父(県長)と鍾離牧の叔父(都尉)・兄(上計吏)ぐらいだったわ。
いずれも郡県単位だと高官なので、確かに「郡吏程度では残らない可能性高い」は正しい。
ただ「田畑を売って『困窮した人々に施す』」のは(もし以前から士大夫層だとしたら)奇抜でもなんでもなく、
ストレートでスタンダートな徳行でしょ?実際そこは「人々に喜ばれました」チャンチャンとなってる。
>>672でいった「若い頃郷里で不興を買った魯粛の行い」っていうのは、
「天下が正に乱れんとしていた」ので武芸を学び私兵を組織したこと。
武芸を学ぶことは教養の域を出ず、曹丕だって学んでる。
魯粛が12の頃には黄巾の乱が起きようかという不安定な政情にあって、
豪族層があらかじめ私兵を組織したことが「奇矯」とされるのはどういった例を引いての話?
むしろ戦乱が近くなると士大夫層はこぞって私兵を組織するものでは?
魯粛の家が生まれついての士大夫層なら、上記二点は全くの許容範囲だったと思われるのに、
「頭がおかしい」とまで言われるのは、元来彼の家に求められてきたような振る舞いじゃないからだ、
つまり元々は士大夫層じゃなかったんじゃないの?っていうのが俺の意見。
趙咨の発言もその根拠の一つ。
劉曄や周瑜に評価された云々こそ、正に「名士問題」であって家格と関連しないよね。
自分でおっしゃるように、それまで士大夫層に居なかった人の息子でも、本人の教養や徳があれば評価されうる。
そして魯粛は本人が「先人の生き方に反して行った」大規模な施しという徳ある行いがあるから、
受け入れる名士たちが出て来てもなんら不思議はない。
- 677 :無名武将@お腹せっぷく:2011/03/21(月) 22:42:08.40
- >>676
魯粛が名士層の一端に連なる存在だったことは意見の一致を見たようなので
当時の豪族というのは、困窮した小農を小作農として取り込むと同時に、
灌漑や祭祀の資金を出してやることで、支配力と人気の両方を高めていた。
また、彼ら豪族は同じ豪族間で連帯することで自分らの地位を保持していた。
『困窮した人々に施す』というのは、品行ある「名士」としても土地の「名士」という意味でも、
確かに徳行に属する。
しかし、自分の財力基盤である田畑を売り払ってまでそれを行うというのは、
豪族共同体の存在を脅かす行為であり、当然同族や同郷豪族の反発を呼んだと推定できる。
貧民には慕われただろうし、利害関係のないよその名士には評価されただろうけども。
ましてや魯粛は父を失って家長の地位にあっただろうに、「不治家事」してまで没頭したわけだ。
混乱の時代が近づいて、貧民を吸収して田客とした豪族は多くいただろう。
しかし「不治家事」の魯粛は、自分の財産を「招聚少年,給其衣食,往來南山中射獵」に使って、
困難な時代に田地経営を安定させるようなこともしなかった。
だから父老(これも後漢後期には豪族に占有される地位となっていた)達に、
「魯氏世衰,乃生此狂兒!」と嘆かれた。これは「魯氏」が世々、郷の父老による評価の射程に
入る身分だったことを示している。
魯粛はこれまでの魯氏の地位にそぐわない若者だと看做されてしまったわけだ。
まあ、この手の言説の字句をそのまま信じてよいのかという問題はあるけど。
趙咨の「凡品」だが、「品」の字に家格という意味はちょっと聞いたことがない。漢魏までは。
人品、品行、九品官人というように、「品」は個人を評価するものだろう。
つまり「孫権は凡俗の群れの中から(卓抜した)魯粛を見出した」くらいの意味になる。
ついでながら、県長や都尉は郡吏じゃないよ。
- 678 :無名武将@お腹せっぷく:2011/03/22(火) 21:05:27.16
- >>677
財貨を叩き、さらに田地を売り払ってまで行った施しによって、
貧民や他所の名士だけではなく「郷邑の歡心を得た」と本文に明記されてるわけで、
社会的には豪農、地域の顔役、長者として相応しいことで疑いないでしょう。
これで魯家が代々官吏を送り込んでる(けど位が低くて記録に残ってないだけ)なら、
一家の収支は官職によっても支えられるわけで、施しの見返りで高まる名望により、
一層高い官位への推薦を取り付けることで取り戻せる、功利的に考えても自然な行為なんだが、
「それを嘆く父老が出るのは何故か?」って考えると、どっかで前提が間違ってることになる。
(社会的にも正しく、個人的にみてもメリットがあるなら非難されるいわれも無い)
まず後で官吏になっても将来にわたって取り返しようも無いほど散財した可能性だけど、
周瑜が訪ねて来たときも相変わらず豪奢な生活してるので可能性は低い。
そもそも非難されたとされる注釈は本文と違って「家業も営まず、田地を売って」とまでは書かれてないし、
経済的に問題ない範囲なら「若い衆を囲い込んで私兵を組織する」のは豪族としてはありうる。
後で官吏になれば撃剣・騎射・兵学なんかは教養のひとつ。
じゃあ官吏の道を保障された家ではなく、代々役人を務めるような出自じゃなかった、と考えるのが自然じゃないの?
もしそうなら教養なんか必要ないし、乱の兆しがあっても率先して事にあたることまでは求められてない。
「品」は品位=格だから、家格のみを指すかといえば間違いだろうけど、家格であってもおかしくないよね?
後ろの呂蒙と合わせて「家格の低い中から魯粛を納め、兵士の中から呂蒙を抜擢した」という、
現代日本に流通する日本語訳に従ったのだけど。
この2つを出自じゃなくて抜擢前の状況と読めば、
「(名士として)評価の低い人間の中から魯粛を、(武官として)地位の低い中から呂蒙を」でも通るよ、
こういうことかな。「品」が格・階層のことなんだから家格に使われませんなんてことはないでしょ。
郡吏じゃないってのは郡に属さないってこと?県長って郡の長である太守任命って聞いた気がしたが。
都尉は俸禄みたら太守より高かったのね。これは失礼。
- 679 :無名武将@お腹せっぷく:2011/03/23(水) 22:14:06.55
- >社会的には豪農、地域の顔役、長者として相応しいことで疑いないでしょう。
この時点で、当時の豪族観に埋めがたい隔たりがあるので議論は終わりにしよう。
ただ、二つだけ。
>一家の収支は官職によっても支えられるわけで、施しの見返りで高まる名望により、
>一層高い官位への推薦を取り付けることで取り戻せる、功利的に考えても自然な行為なんだが、
百石の俸給など文字通り小役人レベルなので、以下のあなたの論は意味をなさないだろう。
督郵や功曹を代表とする高級郡吏というのは、律法上必ず余所者である後漢太守の施政に対して、
現地人代表として直接口を出せるというのが大きなメリットだったわけだから。
だから後漢中期以降、一握りの大豪族が占有するところとなった。
州刺史に対しての従事も同じ。
>家格の低い中から魯粛を納め、兵士の中から呂蒙を抜擢した
(赤壁前の状況で)凡庸の中から魯粛の意見を納め、隊伍の中から呂蒙を抜擢した、でいいだろう。
- 680 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/10(日) 09:46:56.20
- 面白いage
- 681 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/29(金) 17:14:33.50
- 続き希望age
- 682 :無名武将@お腹せっぷく:2011/05/07(土) 15:12:16.61
- age
- 683 :無名武将@お腹せっぷく:2011/05/15(日) 21:00:11.96
- age
- 684 :無名武将@お腹せっぷく:2011/05/24(火) 16:03:06.51
- 周瑜が長生きしていれば
- 685 :無名武将@お腹せっぷく:2011/05/31(火) 22:38:37.40
- 還暦過ぎた美周郎もみたいぞ
- 686 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/01(水) 06:26:32.00
- >>673
戦乱に追われたわけでもないのに私党作ってた人はいる
袁紹なんて秘密結社のドンだし董卓は異民族の首領との人脈築いてる
あと任侠と関わりあったりしたっぽい曹操、袁術などもいて
私党を編成するってのは当時の金と暇のある奴の行動としてはそれ程珍しくないだろ
逆に田畑売るってのは相当珍しいな
三国志本文で田を売った記述が残ってるのは散財した魯粛と、
清貧が趣味の和洽くらいなもんだし
魯粛の特異性を語るならこっちか
- 687 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/01(水) 19:24:26.96
- >>686
それは政治及び社交的徒党。メンバーは士大夫層やその客人となりえる者。
劉備や管寧のように荒っぽい侠の親交をする者は多くいたし、
それは社会に一定程度容認されていただろうが、
魯粛はさらに進んで私兵と呼べるものを組織して自衛の用意をしていた。
- 688 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/01(水) 20:22:22.47
- 魯粛伝では後漢末の乱の後に私兵を集めたとなってるし、
田畑を売り払ったと本文にあるのもその頃なので私兵を飼う費用に充てたのだろうな。
この乱が黄巾なのか関東諸侯の蜂起なのかで少々時期が変わるとしても、
黄巾以降、私兵を集めてる連中は珍しくもなんともない。
一応、註釈には将乱とあるから、後者の乱が魯粛の募兵のきっかけと見ていいだろう。
魯粛だけの特異点が私兵集めたとか言うのはちょっと特別視し過ぎだ。
- 689 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/02(木) 00:00:49.24
- 「農村経営に基盤を置く豪族社会の有力者としては」、特異な点。ね。
時期はともかく、情勢が混乱を深めていくと豪族は私兵を集めて武装した。
しかしその目的は、朝廷の保護を受けられなくなった地域社会で
自分の経済・権力基盤である農地を維持・拡大するためのものだった。
ゆえに集められた者達は田客と呼ばれた。
魯粛はまったく逆に、田地を売り払って人を集めた。
これは侠客に通じた青年劉備の素行に近いがより過激で、無頼の管寧にも似ている。
だから農村社会の代表者である「父老」から誹られたわけだ。
貧農や、施しを重視する儒教的名士からは賞賛されただろうが。
- 690 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/02(木) 03:58:27.05
- >>689
「農村経営に基盤を置く豪族社会の有力者」という前提が既に間違ってるんじゃないか?
魯粛の家は「家富於財」であり、財とは金銭的な資産の事だし富も基本的には金銭的な裕福さを表す言葉
字の通りに読めば魯粛は金銭的に恵まれた家の出身ということになるが、
「金銭の面では恵まれた家」なんて表現の胡散臭さが拭えない
既にこの時点で「農村経営に基盤を置く豪族社会」で生きてる一族なのか怪しくなる
穿った読み方すると、商売人の家だが気前がよかったので好かれて居たという紹介文に見える
無論当時の産業から考えれば少なからぬ農地は当然保有していただろうけど(少なくとも売る分は持ってたわけだ)
それに、家財を傾けて私兵を募るというのも豪族としては解せない
というのも豪族には普通、小作や親族、食客など含めた一族郎党がおり
募らずともそこから抽出した私兵を組織することが可能で、
実際、三国志の中でも何人かの豪族が一族郎党から私兵を抽出しているらしき記述が見受けられる
例えば李典の家は食客を抱えており、そこから兵を抽出して一族の人間が率いてると書かれているわけだ
豪族はこの様に、元々人的資源を抱え込んでいるわけだから、
態々自らの資金源を売ってまで当座の私兵を集める必要がないことがわかる
この辺、魯粛の私兵募集は家財を切り売りして行っている点が
同じく農業的な基盤を記録に見せない初期の曹操が家財を投げ打って募兵している状況に似ているわけで
表記上、それから募兵過程両面から考えても魯粛は「農村経営に基盤を置く豪族社会の有力者」とは見えない
出身地が淮河水系の入組んだところだったりするから、案外水運で財を為したのかもしれないのだが
軽視してるのか記録がなかったのか不明だが陳寿は流通や経済についてかなり適当に書いてる気がする
- 691 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/03(金) 01:29:31.45
- >袁紹なんて秘密結社のドンだし
とは?
- 692 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/03(金) 03:32:16.54
- >>691
服喪中に奔走の友とか作ってるところとかを表現した
でもよく考えたら宮中ですら袁紹の「賓客」が話題になってるわけで
全然秘密でもなんでもなくてただの結社、私党の類でしかなかったわ
どんだけ話題になってるかというと死士と呼ばれるようなシンパまで表れて
「あいつぜってーなんかやらかす」(不知此兒終欲何作)とか言われてるレベル
- 693 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/03(金) 13:28:27.75
- >>690
商人は官吏になれない。普通士人とも認められない。父老の論評にも値しない。おそらく田地も持てない。
戸籍が厳密に区別されていたから、これは明確にわかる。
豪農が商売に手を出して蓄財するのは社会問題ではあった。
魯粛の家がそうやって蓄財していた可能性は当然あるが、いずれにしても土地とそこで使う人が財務基盤であることには変わりない。
曹操は若くして官僚となり、その地位と父祖からのコネが財産の中心だっただろう。もちろん多少の土地もあっただろうが。
魯粛は「肅不治家事,大散財貨,ヒョウ(手偏に票)賣田地,」した経歴の持ち主で、
本来「家事」つまり士人の本業たる農業に携わって家を経営すべき身分で、かつ大きな財貨と田地を所有していた人物だった。
- 694 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/03(金) 17:23:16.93
- >>693
後漢の制度で商人を明確に区別してたという根拠がないだろ
もし実在するなら無知な上に居丈高で悪いんだが、
そういう法律の存在する証拠を出してくれ
塩鉄などの専売品を扱う御用商人のような連中は登録制だろうけど
一般の商人は特に区別されてない筈だ
実際に商人の家系っぽい糜竺もいるわけで商人は蔑まれこそすれ
社会的な権利の制約が特にあったという記述は見た事がない
それに後漢初期、明帝の代に兼業禁止令を解除してるし
商人にはそれ程きつく当たったとは思えないのだが
豪農の蓄財が問題になるのは質のいい銭を市場から吸い上げて倉に入れてしまうので
市場に質の悪い銭しか残らなくなるせいだと記憶してるし
- 695 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/03(金) 17:29:12.62
- 追記
「魯粛が記録に残らない官位を代々継いでいたような家だった」というのは
あくまでも推論に過ぎず、本当に官職の無い家だったかもしれないので
それを前提に話を進めるのは間違ってる
- 696 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/03(金) 18:43:30.25
- 漢書貢禹伝に、文帝時に商人を禁錮として官吏になることを禁じたこと、
同時に、租税を払わないのだから良民ではないといする上言がある。
また武帝紀には
天下の七つの科タク(言遍に適。七種の咎めのある者)を一般の徴兵とは別に徴発したことが記されており、
その注に七科とは、
1.官吏の罪ある者、2.亡命者、3.入り婿、4.賈人(商人)、5.市籍がある者、6.父母が市籍を有するもの、7.大父母(祖父母?)が市籍を有する者。
とある。つまり、罪を贖う元官吏、正常の戸籍を持たない者、および商人が徴発された。
彼らは一般の庶民(つまり農民)としての義務を持たない者、すなわち権利も持たない者だったわけだ。
大農・豪族は、それらの市籍を持つ商人とは別に、違法・合法に商業活動をしてきたよ。事実上の特権階級だった。
- 697 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/03(金) 18:45:18.88
- >>695
「かもしれない」ね。
でも、魯粛の行状と周囲の反応と史書の記述のされ方を見れば、
少なくとも、大きな土地と人を抱える豪族階級の坊ちゃんだったことは、高い蓋然性で言える。
- 698 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/03(金) 18:47:36.16
- 「地域農村社会に責任と影響力を備える豪族階級の坊ちゃん」と追加しておく
- 699 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/03(金) 19:12:20.24
- 魯粛伝に「家富於財」という記述があって、これは不動産ではなく動産が豊かだという感じがするから
魯粛は豪族ではなかった、という話みたいだが、
後漢書鄭泰伝にそっくりそのままの記述がある。
鄭太字公業,河南開封人,司農衆之曾孫也。少有才略。靈帝末,知天下將亂,陰交結豪桀。家富於財,有田四百頃,而食常不足,名聞山東。
鄭泰は、前漢の司農を祖先に持ち、400頃の土地を有してながら豪桀と交わり(おそらく彼らを支援して)財を傾けた、名家・豪族・名士だった。
- 700 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/03(金) 19:53:17.82
- >>696
武帝は「商人」ではなく「商業によって利益を得る人」全てを対象に
結構高額の税金を「算?」として掛けてたし、市籍所有者が税金チョロまかしたことがバレると
「沒入田僮」された(なんか参照するものによって田貨だったり田僮だったりよくわからんが)
つまり市籍所有者から田畑と人か金を奪うという法律
算?銭が商人の田畑所有を前提に作られてるのに、>>693の田地も持てないは違うと思うよ
それとお詫びだが、俺の>>694は田地を持てないということに対する
「商人はそこまで区別されたか」という意図と「商人という社会層を戸籍で区別したか」という意図が混在してたけど
おっしゃる通り確かに戸籍ではなく市籍で「商人」は区別されてたな
ただ、市籍は戸籍じゃなくて商売免許ではないか?
>>699
それが俺の説を逆に補強してくれてるわけだな
「土地持ち」と「家富於財」は併記される事象で別個であるということだから
これが家は金持ち、その資産の内訳は土地がいくらで金がどんなもんっていう書き方ならともかく
金持ちで土地持ちですっていうだけならむしろ金持ちと土地持ちはやはり別個の概念ということになる
- 701 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/03(金) 19:59:24.55
- 屁理屈が過ぎる。
史書の記述の欠落を悪用して根拠の無い持論を勝手に埋め込んでるだけだ。
豪族と思しき人物の全てに豪強・大姓などと
実際の振る舞いや豪族社会の実像から推論すれば、劉備や孫堅の家が少なくとも中小豪族の家だったことはわかる。
いくら影響力がある記述があっても大姓と明記されていなければ大姓でないと言い張ってよいことになる。
収穫した穀物を現金に換えれば財になることもわからないだろうか。
- 702 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/03(金) 20:00:13.03
- 文が抜けた
史書は豪族と思しき人物の全てに豪強・大姓などと明記しているわけではない。
- 703 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/03(金) 20:29:52.87
- >>701
劉備や孫堅の話なんかどうでもいいんだよ
劉備なんてそれこそ書かれるような官吏を輩出する家柄な上に
魏側の史料じゃ後漢の臨邑侯の子孫扱いなんだから、
ちゃんと読めば中小の豪族どころか、名門の傍流じゃねーか
孫堅だって豪族の娘をくれって言うテーブルに付けるだけの男
断る理由が身分じゃなくて本人の性格ってことなんだから
そもそも貴賎結婚としていた人に根拠を尋ねたいくらいだしな
史書は豪族と思しき人物に必ずそう書くわけではないけど
豪族ではない人物にもそう書くわけではないわけで
君のように一方的に決め付けるのは無理
あえてまぜっかえすけどいくら金持ってる記述があっても
豪族ではないと明記されてなければ豪族だと言っていいのか?
現金を手に入れる手段なんて他にもあるのに穀物収入でなければ納得できないのだろうか
- 704 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/03(金) 20:37:00.46
- 売るだけの田地を持ち、「家事」を治めぬことが史書にあえて記述され、
農村社会の枠組みから外れる奇抜な行動を取って「魯家」の枠組みで父老の不評を買い、
一方では貧民を救ったことで賞賛を受ける人物。
これに相当するのは豪族やその子弟以外に有り得ない、と繰り返し言ってるのだが。
他にどんな階層の人間ならこういう評価を得られるのか想像も付かないくらいだ。
- 705 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/03(金) 22:45:59.69
- 別に農村経営を主たる業務とする豪族じゃなければいくらでもいるでしょ
今問題にになってる「魯粛は豪族か」というテーマは省略されてるけど
「魯粛は農村経営する豪族か」の是非
金の出所は水運業者でもいいし商業専心する豪商で俺は一向に問題ない
ただ農村経営を主たる生業としてる豪族とあまりにも断定的に言われるから
その前提は間違ってるということを指摘してるだけで
それと男女300人前後という魯粛と行動を共にする人の数が少な過ぎる
ここには魯粛の祖母のような老人も含まれて居るわけだから老齢者を抜くと精々8割9割
成年男子はその中の1/2〜1/3程度
しかも倉に入ってる3000斛程度の穀物はその300人が食うには足りなさ過ぎる
周瑜にくれてやった分を含めたって全く足りない
農村経営する豪族という割りには少な過ぎる人とその少人数も1年食えない穀物の備蓄
これで農村経営とか出来るのか?という状態
- 706 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/04(土) 09:47:01.19
- >>705
http://sangoku-touitushi.com/chapter5story83.htm
3000斛だと300人なら食うに事欠かない量では?
- 707 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/04(土) 13:14:32.02
- >>706
三千萬斛が十萬の兵士を五年養う分量というのがケ艾伝に載ってる
三千斛なら十人を五年養う分量ってことだね
つまり3000斛の倉って兵士50人の1年分ってこと
多分ケ艾の計算は魏の制度での兵士への俸給も込みだろうから、実際に食う分量を越えている可能性が大きいにしても
倍養えるとしても100人、兵士の1/6で暮らしてやっと300人
6万人を1年養おうとしたら魏だと年間360万斛が必要ってことになる
3000斛で養える期間は1日にも満たないというか一食分
このサイトの6万人分って一回の炊き出しの話でもしてるんじゃないか?
それなら納得できる数だ
強行軍での奇襲用に切り詰めた装備でも5000人の兵士を10日維持するのに必要な量が5000斛
という記述が魏延伝註釈の魏略に出ており、こちらで計算すると1人が食うだけで一日0.1斛
360日で36斛、300人で年10800斛
ただしこちらは強行軍用の穀物だから、倉で保存されてる物と違って脱穀が為されてるということになる
穀物は脱穀すると足が速く、長期保存するには2倍程にかさばる籾付きにするしかない
ケ艾伝の1人1年60斛と比較すると魏延伝の1人1年36斛は確かに少ないが
前者は脱穀前、後者は脱穀後という差があるのかもしれないということを考慮に入れる必要がある
倉庫で保存されてる魯粛の穀物を考える時、比較対照はケ艾伝の数字がより適切だろう
個人のスケールで見れば確かに3000斛は50〜80年食える量だけども
300人の胃袋を1年間満たす分量では全くない
- 708 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/04(土) 21:06:02.31
- 周瑜と交流を持った時期の穀物の少なさをもって、農村経営とか出来るのか?って言えるわけ無いよ。
それは魯粛が土地を捨てていた時期なんだから。
- 709 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/04(土) 21:23:41.72
- 漢書の計算によると、純粋な一人分の食い扶持は、平均して一月1.5石(斛)。
300人なら一月450斛。3000斛あれば6ヶ月ちょっと。倉二つで1年持つわけだから、避難民の蓄えとしては上々。
しかし、この穀物の元手が商売だろうが農業だろうが、一定の蓄えを持とうとするのは当然のことだから
倉の逸話から魯粛の経営基盤を想像するのは意味が無いだろう。
- 710 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/04(土) 21:36:54.25
- あっとごめん。なんかつられた。
倉に三千石はまだ魯粛が地元にいることで、
若者100人は避難した時のことじゃないか。
魯粛一人の家に300人を一年養えるだけの穀物があったってのはとんでもないことだが。
豪族の耕作しているのは多く小作人だから、それぞれ別の家と家計を持っていた。
それとは別に、百人単位の家人や客人を魯粛一人の財力で養えたわけだ。
まあ、だからと言ってこの穀物が魯粛の田地から収穫されたものだとは限らないと言うんだろうけど。
- 711 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/04(土) 21:40:00.01
- 300人が満足に食うには2ヶ月分しかないような量で農村経営が出来てるなんて思うんだ?
当時の穀物は1斛50万銭という狂った相場の元で取引されてるから
兌換価値としては他の物に交換するよりも穀物そのものを持ち運んだ方が具合がいいくらいだし
旱魃その他で穀物価格以前に供給そのものが怪しい状態だから手放す動機が見えないわけで
移動に備えて処分したという理由付けは難しいよ
- 712 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/04(土) 21:47:36.22
- >300人が満足に食うには2ヶ月分しかないような量で農村経営が出来てるなんて思うんだ?
その計算が間違ってるんだって。
当時の食い扶持計算の基本は漢書食貨志だろ。
それは一人一日約1リットル穀物を食うと計算している。脱穀すれば妥当な量になるだろう。
>純粋な一人分の食い扶持は、平均して一月1.5石(斛)。 300人なら一月450斛。3000斛あれば6ヶ月ちょっと。
だ。
- 713 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/04(土) 21:51:48.55
- >>709
前漢と後漢では一石の量が前漢のが1.7倍程多いそうだ
前漢での一石半は後漢での二石半以上
参考にしてる換算表はコレ
ttp://homepage3.nifty.com/kyousen/china/list/size.html
300人なら月に750斛でどちらにしても半年から先はかなり不安な量だよ
- 714 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/04(土) 22:00:17.52
- 食貨志の逸話は魏文侯の時代のものだから、これが周と同じなら後漢とほぼ同じ一石20リットル弱。
「一人一日約1リットル」はそれで計算しているよ。
魯粛の家が独立した家計を持たない奴婢数百人も抱えていたなら3000石でも不安な量かもしれないが、
そんな無駄遣いをする必要も無いし、根拠も無いしね。
- 715 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/04(土) 22:10:33.66
- >>714
そいつらの財布が独立してたら魯粛は農村経営してないわけだけど大丈夫か?
移動した何割かは魯粛の雇ったゴロツキも込みだから
かなり高い割合で財布の根元は魯粛だろ
- 716 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/04(土) 22:25:45.11
- >>715
あなたの豪族観が原因だと言うことがわかった。
漢の豪族ってのは、
困難な状況に突き当たった小農が困窮し自力で再生産できなくなり、一部または全部を手放した田地を
買い取って、この小農を仮作人として雇い入れ、高率の小作料を取ることで経済力を増し、
その経済力によって郷里の祭祀や灌漑費用を多く供出するなどして、
郷里の社交界や行政方針に大きな影響力を振るうことになった人々のことだよ。
一方で小農や仮作人は変わらず一家を構えていたし、郷里の石碑建立のような公共事業には大小さまざまな経済力の
家がそれぞれの出資額で参加していた記録もある。
おそらくあなたが「農村経営」と言いだしたのは所有される農奴や荘園経営のようなものをイメージしてのことだろうが、
そういうものが現れるのは後漢末三国の混乱による豪族の武装化を経たあとのこと。
魯粛はまさにその端緒の時代にいたわけだが、今問題にしているのはその少し前、東城魯氏の財政基盤のはずだ。
- 717 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/04(土) 22:39:48.22
- >>716
農村経営という言い方したのは俺じゃなくて他の人だよ
具体的な単語だと>>689の人
魯粛と田地の経営を絡めてるのは>>677の人
農奴や荘園経営をするものが表れるのは後漢末期じゃなくて前漢末期
そして後漢はそれを弱めようと色々やっちゃいたがそれが成功したかどうかは
下僕1万人とか言う糜氏の例からもわかるように成果が万全だったとは全く言えない
今問題にしてるのは魯粛がそういった荘園経営を主たる業務としてるかどうかという点で
魯粛の時代から伺える痕跡ではそういうのは残って無いってことだ
- 718 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/04(土) 22:55:00.43
- 「農村経営に基盤を置く豪族社会」だよ。
豪族社会が農村を>>677や>>716のような形で経営していたのであって、
豪族の一家が農村を一つ経営していたのではない。
豪族の伸張は前漢から始まるが、
独立した経済力の無い奴婢の類は、漢では法的に権利を剥奪された官奴婢からの払い下げであって、
せいぜい金持ちの身辺の世話程度。農奴経営は生まれていない。後漢朝廷が機能を失うまでは。
- 719 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/04(土) 23:12:13.94
- 「生まれてない」は言い過ぎか。主力ではないと言いなおす。
数百人の奴婢を抱えた稀な例では、耕作なり商売なりをさせただろうし、
魯粛の家でも何十人か百人くらいの奴婢がいた可能性はある。
- 720 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/04(土) 23:19:50.96
- >>718
新漢革命時に原動力になった南陽豪族なんかは荘園に人を囲い込んでるよ
それを使っての反乱を起こしてる
- 721 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/05(日) 13:40:14.72
- それは後漢末と同じ。朝廷機能が失われて流民を吸収したから。
結論として、魯粛は、「特に根拠は無いが商売に経営基盤の大きな比重を置いたかもしれない豪族だった」ってことでいいのかな。
豪族の農業と商売の利益比率なんて確かに出せないし。
まあ「魯粛は商人なので士大夫のような真似をして父老の批判を買った」とか「凡品とは価格が低いこと」とかいうのが
間違いだってことがわかってもらえれば最低限かまわないよ。
- 722 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/05(日) 21:08:53.68
- >>721
全て違う
豪族は後漢を通して荘園と私有民を減衰させながらも維持してたし
朝廷機能が失われてなくてもちょっとした事で戸籍から逃れる人は続出するし
そもそも当時は人身売買が一般的だったから金出せばある程度買えちゃうんだよ
結論としては魯粛は
「特に根拠もないので農業に経営基盤があったかわからないし、商業やってたかどうかもよくわからない」
ただし、「不治」になると現金(財貨)が失われて、田畑を投売りせねばならない「家事」があり
魯氏はそれを本業としていたということが考えられ
商人なので〜、凡品とは〜は俺の言じゃない
無関係なのでわかるもわからないもハナから関係無い
- 723 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/09(木) 00:53:49.55
- 凡品云々は俺だな。
「もう認識が合わないので議論を終わりにしよう」と言われたので678以降レスしてないぞ。
たださらっと斜め読みした感じだともう誰が何を主張してるのか判んなくなってくるのも頷けるw
匿名掲示板の難点だ。
- 724 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/23(木) 14:40:54.81
- 魯粛は飽きたので周瑜の天下二分の計について考察すれ
- 725 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/10(日) 11:09:07.78
- 周瑜の天下二分の計=浪漫
- 726 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/10(日) 12:54:19.04
- ちんぽこ饅頭!!
- 727 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/10(日) 13:10:14.59
- >>724
このスレ、既に1年半も存在し続けている。
これ以上の考察が無いのでは?
- 728 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/11(月) 05:36:07.86
- 記述内容が少なすぎて判断出来ん、ていうのが結論かな?
- 729 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/11(月) 08:31:10.55
- 結論は後知恵で作られた嘘説だからどうでもいい
- 730 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/14(木) 00:48:25.51
- 龐統は周瑜に仕え、周瑜の遺体を呉に届けた人物。
その龐統が劉備の入蜀に付き従ったのは興味深い。
- 731 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/24(日) 03:15:11.50
- 龐統は呉の連中と仲いいんだな^^
- 732 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/31(日) 19:43:45.05
- 龐統は呉の劉備監視役説
- 733 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/01(月) 09:28:28.94
- なにっ
- 734 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/06(土) 16:11:57.98
- 落鳳坡は劉備が呉の監視役龐統の始末説
- 735 : 忍法帖【Lv=3,xxxP】 !:2011/08/07(日) 19:36:06.63
- わお!
- 736 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/08(月) 23:37:42.67
- 劉備が騙し討ちしても手こずった蜀攻めを劉備の火事場泥棒になすがままだった周瑜如きが遂行出来るわきゃないだろ
- 737 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/10(水) 07:06:26.39
- >劉備の火事場泥棒
kwsk
- 738 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/10(水) 16:02:35.68
- 荊州
- 739 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/10(水) 21:08:48.29
- >>738
火事場泥棒じゃなくて普通に孫権にok貰ってるよ
- 740 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/10(水) 22:17:17.75
- むしろもともといたわけでもなく荊州の刺史や牧になっているわけでもないのに江陵を征服している方が火事場泥棒じゃね
- 741 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/11(木) 07:29:27.46
- >>740
劉備が主戦線外の荊南でやったことが火事場泥棒かはともかく,
正面から江陵に乗り込んで曹仁を追い出したのを火事場泥棒とは言わないだろう。
- 742 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/11(木) 09:40:47.21
- >>741
そのあとも占領し続けて勝手に太守になってたのは火事場泥棒だろ
- 743 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/11(木) 11:58:57.83
- 火事場泥棒より詐欺師の方がしっくりくるな
- 744 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/11(木) 12:51:10.87
- >>742
勝手、ではない
孫権もok出してる
- 745 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/11(木) 13:19:21.06
- >>744
いやその孫権が火事場泥棒だって言ってるんだ
おk出す何の権限も正当性もないだろ
自分を攻めてきた曹操を倒すまではいいが、そこで終わらずに隣の州攻め込んでずっと居座るのは火事場泥棒じゃん
- 746 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/11(木) 17:51:58.68
- 劉備は荊州刺史の劉キを擁しているしな。
- 747 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/11(木) 17:55:23.85
- 何にせよ荊州争奪戦で劉備の立ち回りは光ってた
碌に対処出来ない周瑜含む呉は雑魚
- 748 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/11(木) 18:41:38.56
- 江陵取られたのに立ち回りは光っていた(キリッはねーだろ
いくら荊南を手に入れたところで、北上の蓋をされ、常に喉元に刀突き付けられてる状態で
- 749 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/11(木) 21:24:08.76
- >>745
火事場泥棒なんて言ってないけどなぁ
あ、演義の話しですかサーセン
- 750 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/29(月) 03:48:47.66
- 演義の話よりも正史での考察が聞きたい今日この頃・・・
- 751 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/29(月) 07:38:44.30
- アレもそーですね
初期ミスチルは君がいた夏とかReplayとか夏っぽい歌が多いですよん
なんか中期以降は季節とか関係なく仕事するのもお客さんも嫌いだってのが
前面に押し出された歌に変わっていくんですけどね(苦笑)
ってか「いつでも微笑を」はライブで聴いたことないんですよねorz
スタジアムツアーも北海道公演なさそうだし…
>SENSE
好きですねw
Iとか大好きですw
多分ワンダ以降入ってきた中高生のファンには不評だと思いますけど
でも、やっぱアレがミスチルなんでないかと個人的には思いますねーw
チャリティとか人類愛とか歌う桜井はなんか胡散臭くて好きじゃないです
- 752 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/04(日) 14:29:48.88
- 荊南以上に暴れたらそれこそアウトじゃないの
孫呉との関係が終わる
- 753 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/07(水) 09:26:51.58
- 劉備が屑すぎるから呉では対処しきれないだろw
- 754 :家計簿つけたくなくなったよ:2011/09/17(土) 10:55:32.09
- 一番カケイガうまい周油は
家計簿つけさせないようにと
醤油を飲ませ
火山がうまくいかないからって
核に頼り
否なきところ
最高峰
長生きできて当たり前。
- 755 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/17(土) 18:03:40.78
- 周喩の天下二分なんてヘボ計画より劉備の荊州完全奪取を考察するほうが
有意義だと思うが。
- 756 :モグたん ◆RgagDOoVgM :2011/09/17(土) 18:22:15.27
-
_ _
/::::::;ゝ-──- 、._/::::::ヽ
ヾ-"´ \::::::|
/ ヾノ
/ _ _ ヽ
| /:::::ヽ /::::::ヽ |
l (:::::::・ノ ▼ ヽ・:::::) lモグモグ
` 、 (_人_) /
`ー、 /::::::〉ェ・)`ヽ/
./::::.::/─ |:::::〉'
〉 .:/ (・ェ・)(・ェ・)
./ _ | (・ェ・)(・ェ・)(・ェ・)
.| ´:::::ヽ._ ´:::::::ヽ (・ェ・)(・ェ・)(・ェ・)(・ェ・)
ヽ、::::::_/´`ヽ:::::::::::/ (・ェ・)(・ェ・)(・ェ・)(・ェ・)(・ェ・)
- 757 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/17(土) 22:42:41.28
- 劉備の荊州完全奪取ってなに?
- 758 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/14(金) 07:24:25.15
- 天下二分よりも非現実な妄想
- 759 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/16(日) 19:39:51.19
- 陳宮とか天下三十分の計くらいの感じでやってたよね
- 760 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/18(火) 18:21:44.58
- 猫にフラッシュ焚いたら失明すんの?そんな簡単に?ソースは?実例は?
猫に牛乳ダメってのも聞くようになったの最近だし、ソースを見たことが無い
ネットが普及し始めてからあれはダメこれはダメ聞くようになったものばかり
ずっと牛乳も与えてたしフラッシュも焚いてたのに何十年も実例を聞いたことないのはなんで?
とりあえず実例とソース出してもらえる?
- 761 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/18(火) 20:40:05.88
- ,',i><iヽ
/((ノノリノ)))))
O、《 )))´▽`))O
ノ, )(・) ・)ノ ヽ
ん、/ (:i:) ヽ_、_,ゝ
(_ノ ヽ_)
- 762 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/25(火) 20:29:23.50
- 徐州の広陵郡は魏の領土?それとも呉の領土?
サイトによって説明が違うので詳細よろしく
- 763 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/26(水) 04:14:16.26
- 両方。
分割統治されてどちらも広陵太守を置いている
- 764 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/26(水) 20:44:35.88
- なるほど ありがとうございます
- 765 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/27(木) 12:26:05.33
- 江夏と同じか
- 766 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/27(木) 14:15:52.99
- 両方が太守を任命してるとしても
実効支配してるのは片方で、失陥した側が奪還を図ってるので席だけはあるっていうこともあるんじゃないだろうか?
このケースがどうという話ではなく、様々な同時期に両陣営で太守を派遣してるケースの中にそういうのがあり得るという意味で
- 767 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/27(木) 15:47:54.80
- 劉備の所じゃ一度も襄陽領有できてないのに関羽を襄陽太守に任じてたね。
243 KB
[ 2ちゃんねる 3億PV/日をささえる レンタルサーバー \877/2TB/100Mbps]
新着レスの表示
掲示板に戻る
全部
前100
次100
最新50
read.cgi ver 05.1.7.9 2013/05/18 アクチョン仮面 ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)